認知症
ウェルファン福祉用具最新カタログ『福祉用具便利帖vol.40』掲載ページ
お取り扱い頂いております、ウェルファン様の福祉用具カタログ『福祉用具便利帖vol.40』最新刊へ
今回もご掲載頂頂きました。
介護へ携わる方、ご家族皆様におかれまして
ご担当のケアマネージャー様などへお問い合わせ頂き、顔なじみの用品業者様などからご用命頂く事も可能です。
ご家族様のお守りに、安心を身に着ける『ミモトブレスレット』をご活用くださいませ。
認知症、行方不明について考える。
先日、警視庁が「平成29年における行方不明者の状況について」を発表。
警察に届けられた認知症による行方不明者が1万5,863人となり、平成24年(2012年)の統計開始以来、5年連続の増加というニュースが流れました。
統計開始が平成24年、それまで大きく取り上げられる事が少なかったという事でしょうが、
ちょうどその頃、祖母が認知症を発症し、行方不明になる事がしばしば起こりました。
信じられないでしょうが、本当に突然家から居なくなってしまうのです。
気がつけば、要介護と認定され、介護保険の適用により、様々な行方不明(ネガティブに表現すると、徘徊)対策品をおすすめされ、
利用する必要がありました。
GPSが装着された靴や、首に下げる端末。
祖母は、これを一度として身につけて出かけたことがありませんでした。そして、その度に家族総動員で捜索が始まるのです。
ある時は近所のスーパー。ある時はパトカーに乗っていたり… 電車やバスにのってしまったらどうなるのだろう…
不安の連鎖が家族を襲います。
当時両親は共働き、母が仕事、家事、そして介護を行っていたのですが、強靭な精神を誇っていたはずの母親の日に日に疲れ果てていく様を目の当たりにすることとなりました。
GPSの携帯が難しいとなると、あらゆる衣類への名前書き込み、エマージェンシーカードをポケットに忍ばせてみたり、様々な工夫をやがて行うようになりました。
ところが、エマージェンシーカードを捨ててしまったり、保護してくださった警察官の方へ衣類をみせる事に抵抗したりと、なかなか思うようにはいかない経験も致しました。もっとも辛いのは「家から出さないようにしっかり見なさい」と言われてしまう事でした。
特に精一杯介護していた母親は傷つくことも多かったように思います。
そんな折り、ふとした気づきですが、認知症になっても、祖母は、ダイヤや真珠、貴金属アクセサリーを自身の宝物として認識しているシーンを目にすることがありました。
戦前生まれでモノが乏しい時代を生き抜き、頑張れば豊かになれる、その象徴として少しずつながら買い集めた装飾品を、まるで女の子のお姫様遊びのように大切に扱う祖母。
閃きました! さすがに、本物を加工してという訳にはいかないですが、祖母が大切にしているプラチナ製のブレスレット。これを模したデザインで祖母の身元情報が第三者に分かってもらえたら…
ブレスレットの開発については、また改めてブログを書かせていただこうと思いますが、
介護経験から考えると、行方不明の高齢者数は、ご家族や親族、親しい方から、届け出がなされている数値の統計であり、
推測するに全く身寄りのない状況の方や、老々介護、認々介護の状態のご夫婦など、介護者がいない場合を含めると、
数は更に多くなると考えます。
そして、大切な事は行方不明ではなく、身元不明という状態が多く存在している事、
警察や介護施設に保護されながらも、ご自身の名前や、住所までも思い出せないまま生涯を終えられてしまう方が年々増加しているという事。
来年の今頃も,今年度よりさらに行方不明者数が増加と発表されることと思います。
祖母は認知症症状が進行し、日本でも非常にまれな脳疾患であった事がわかり、やがて長い植物状態ののち、天国へと旅立ちました。
もう3回忌も済みましたが、やがて父や母、ひいては自分自身も歳を重ね、祖母と同じような症状を発症するかもしれません。
そうなる事は、本意ではないですし、悲しいと感じることでしょう。
しかし、もちろん介護真っ只中においては、肉体的、精神的にも疲弊することもありましたが、
今思うことは、家族が一つになれた良い経験だったなと。
私自身、子育て真っ只中ですが、注ぐ愛情は、自分も大切に育ててもらったように、受け継いでいくものなのだと。
大切な肉親が、もし行方不明になったとしても、その時の備えで結果が大きく変わってくるのではないか…
そう考え抜いた、一つのアイデアが「ミモトブレスレット」には詰まっています。
2025年には、高齢者とされる世代比率がピークを迎え、様々な問題が起こってくるといわれています。
私の両親も団塊の世代,そして我々団塊ジュニアが、将来を見据え、出来る事をやらなければ…
先日のニュースを見て、そう考えずにはいられなかったです。
認知症初期集中支援チームに学ぶ
お隣の倉敷市で、いわゆる「ケアカフェ」の集いに参加させて頂きました。目的としては、倉敷市の健康長寿課の地域包括ケア推進室の講義を聴きたかった事の他に、行政と医療、介護事業所がどの様に連携し超高齢化社会に備えるべきかという具体的な施策を把握する必要があったからです。
縦割りという垣根を取り払う事が重要
みな日々の業務をこなしながら、良いケアをしたいという想いで繋がっています。医療、行政、介護、様々な事業者が一堂に会しました。
主催はローズマリーの会
https://www.facebook.com/ローズマリーの会-小地域で認知症を支える会-1625879960977972/
代表の岡野さんは薬剤師であり、一人の患者さんに対して、たくさんの人や施設が携わっているのにかかわらず、それぞれの顔を知らない、連携がない事に気づき、会を創設されたとの事です。
そして、地域包括ケア推進室。
平成28年度からスタートしたばかりの「認知症初期集中チーム」 国家戦略として、各行政管轄内で官民連携を果たし、ご本人やご家族に寄り添い、自宅での自立生活をベストとし、サポートしていこうという施策です。
今回は、倉敷市の取り組みでしたが、各市町村それぞれの規模、施策、地域性も今後あらわれてくると思います。何がベストな答えかは簡単に示される事ではないけれど、最後は人と人の繋がりが解決してくれるのではないでしょうか。
そしてもっとも大切なことは、ご本人とご家族の気持ち、それに寄り添う地域の温かいサポートだと思いました。
祖母の命日1月14日 商品が生まれるきっかけ
今日のこの日は、祖母の命日である。1年前のこの夜、病院からの知らせを受け凍てつく高速道路で実家への帰路を急いだ。共働きの両親に代わり、祖父母と過ごす時間が最も多かった。そして最期まで僕の人生を最も案じてくれていた。最期といっても会話が出来たのは2年半前の事だが…
祖母の介護
祖母は脳委縮性の難病により運動機能を失い寝たきりになった。とはいえ、意識はあったと思う。目や耳は聞こえていたはずだ。60年連れ添った祖父が亡くなってからすぐ認知症状態となり、やがて寝たきりへと移行したのだが、なるべく家で暮らさせてあげたかった。
母は『認知症の人と家族の会』へ入会し少しでも祖母の為にと情報交換をし、全てにおいて後悔の無い様に務めたが、日に日に祖母は感情のコントロールを失ってゆき、徘徊、粗相、自殺願望、何より家族の顔がわからなくなっていった。
それでも、内孫で長男である僕の事は不思議と認識してくれる事が多かったと思う。認知症との診断から、指定難病へと診断が移行し臨床調査対象で入院期間も長かったが、祖母ともっと話がしたかった。
祖母のおかげで、今の自分と事業のきっかけがうまれた。少しでも多くの人助けになったと報告できる様に務めたいと思う。