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MIMOTOブレスレット誕生秘話『製作への道のり』①

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ここで、MIMOTOブレスレットに辿り着くまでのフォーユアジュエルズの原点である、オリジナル製作の一例です。事業立ち上げ時、こういった一点物の受注製作を多く受けていました。カレッジリングという指輪で、思い入れのある情報をデザインとして反映させたものです。アメリカの伝統的な指輪で、大学(カレッジ)単位でスポーツ競技での勝利、卒業などの記念品として現在でも受け継がれています。ケネディ大統領が在職時もハーバード大学のカレッジリングを着けられていた事も有名です。フォーユアジュエルズの設立年、私の誕生年、家紋を反映させています。

 

フォーユアジュエルズカレッジリング3D

3Dのデザインで設計し、原型を製作、さまざまな加工を経て商品を産み出していきます。

ステンレス製品加工の壁

ジュエリー、アクセサリーの素材は主にプラチナ、金、シルバー。先程のカレッジリングもシルバー製です。素材として宝飾品加工に適しており価値もあるのですが、ステンレス製品は、その硬さゆえに宝飾品の加工と全く過程が異なり、まず工具が適しません。工業分野での扱いというと分かり易いと思います。ステンレス製品はあまりに日常にあふれているので安価なイメージに捉えられがちなのですが、たいへん優れた技術と工業の努力により私たちの暮らしに便利さと豊かさをもたらしています。アクササリーとして美しいステンレス製品を作ることは、これまでの製作とは全く異なり新たな挑戦でありました。

続く…

2016-02-18 | Posted in IDブレスレット, ブログNo Comments » 

 

MIMOTOブレスレット誕生秘話『介護福祉の現状』

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祖母の病や高齢者の「あったらいいな」等のきっかけから、身元証明のためのブレスレットを製作したいと考えはじめた折、NHKなどメディアが積極的に認知症をテーマに取り上げたドキュメンタリーなどを報道する様になりました。そして安倍首相が認知症対策は重要な国家戦略として「国家戦略策定」を打ち出しました。急速な問題化から国家戦略を策定する一方で、もうこれ以上、医療費は増やせないところまで来ています。求められるのは民間の知恵であり、最も大切なことは介護の現場にあるはずです。

現状を調べてわかってきた事

祖母の介護にあたっていた母も、少しでも有意義な情報を得るために、同じ悩みを抱える家族の会へ参加していました。祖母の介護経験や一般的な認知症徘徊対策として、GPS機能付きの携帯電話やスイッチ、身元を記したカード類を所持してもらう事が一般的な様ですが、なかなか習慣付かない事を聞きました。やむを得ず、衣類履物下着に至るまで身元の記入を行ったとしても第三者から触れられた場合、そこは女性、全力で抵抗します。脳の委縮により、感情の抑制も出来なくなっているので、絶えず怒り、暴れます。警察も、家から出さない様にして下さいとしか言いようがない事も理解は出来るのですが…

介護のプロに学ぶ

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要介護者の家族だった経験から、地域包括支援センターという窓口を行政が設けている事を辿り、ソーシャルワーカーやケアマネージャーの方々が担う役割りについて知りたいと思いました。ボランティアとして民家や解放スペースを活用した認知症カフェやケアマネの集い。介護という激務のかたわら各エリア単位で集まっての勉強会や情報交換がなされている場に、機会を頂いては参加させて頂きました。介護する側、介護される側、今を取り巻く現状に更なる理解を深めたいと思ったのでした。

続く… 

2016-02-04 | Posted in IDブレスレット, ブログNo Comments » 

 

MIMOTOブレスレット誕生秘話 『グラウンドゴルフ』②

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高齢者の「憩い」と「健康増進」グラウンドゴルフへのご縁から、身元情報を何かに印したアイテムを開発しようと心に決め、情報集めの為、早速体験会へ参加させて頂きました。

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何より、朝が早い訳です。コース等の配置で、すでに70代の協会インストラクターの方々が既にスタンバイされていました。春先でしたので気候も良く温かな日差しに、さわやかなそよ風。お昼終了までの楽しいプログラムだったのですが…

予期せぬ体調不良

予期せず、協会インストラクターの男性が体調不良で病院へと運ばれてしまいました。幸い大事には至らなかったとの事でしたが、数時間の事でもスローペースで運動する事が何より大切だと思い知らされました。もちろん、エントリー時に個人の情報はリストアップされていましたが、不特定多数の集いで、万が一、意識が無くなる程の重篤な症状であればご家族への緊急連絡が必要です。そして、ポケットの中身を触らなくても良い様に、常時着用できるアイテムは具体的に何だろうかと考えました。

ブレスレットで安全に

グラウンドゴルフのプレーにおいて気づいた事がありました。それは、意外と上半身に回転がかかっている事でした。宝飾店でのジュエリー販売員時代、ネックレスを着けたままにしていると洗髪時に引っ掛かったり、危ないからと敬遠された事があり、事故を防ぐ為にも首まわりへの常時着用は選択肢から外す事としました。DPP_0306

そして、ほとんどの方が手首まわりに何かしらの装飾品を着けられたまま競技されている事にも気づきました。腕時計や健康ブレスレット、パワーストーンやスポーツリストなど、もはや老若男女、手首への装着に抵抗がない事を確信し、ミモト(身元情報)を記したブレスレットを製作する事に照準を合わせました。

続く…

 

2016-01-27 | Posted in IDブレスレット, ブログNo Comments » 

 

MIMOTOブレスレット誕生秘話『グラウンドゴルフ』

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グラウンドゴルフの協会運営に携わる方から、プレイヤーが競技中に倒れて救急搬送される事があり、身元所在がすぐ判らなくて困った事があるという話を耳にしたのは、平成26年秋口の事でした。

もともと当方は、オーダージュエリー、アクセサリー一辺倒で、オリジナル商品を開発する事を考えていなかったのですが、以前にも述べた、祖母の認知症症状体験から身元情報にまつわるアイテムが何か創れないかと思っていたタイミングでの何気ない会話でした。

故郷鳥取県が発祥

昭和57年、鳥取県東伯郡泊村(現在は湯梨浜町)でグラウンドゴルフは誕生しました。

泊村では高齢化が進み、村民の健康づくりを重要課題としていましたが、村長を中心に新しい取り組みを始めようとの事で開発されたそうです。ゴルフ場に行かなくても、屋外運動場(グラウンド)でプレーができ、「いつでも」「どこでも」「だれでも」できるスポーツの誕生は、県内外に大反響を巻き起こしました。

高い評価を受け、わすが1年が経過したばかりの昭和58年には各自治体のグラウンド・ゴルフ協会が次々設立され、全国的な組織にまで広がりました。

鳥取県出身者として恥ずかしいですが…初めてグラウンドゴルフについて知るきっかけとなりました。

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動作に影響しないアイテムを

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もちろんオフィシャルの大会では、名鑑を首から下げてプレーする事が義務づけられている様ですが、体験教室や練習などの時には、万が一の不安もあるそうです。

そういった現状から、軽くて常時着用でき、プレー中でも影響のないネックレスやブレスレットが製作出来ないかと考える様になりました。

続く…

2016-01-21 | Posted in IDブレスレット, ブログNo Comments » 

 

岡山の誇る『TIMES MARKET』

当方、若かりし頃より1960~70年代のアメリカ文化に傾倒しておりまして、バンド活動を無心に行っていた事もあり(今でも…)ライブ衣装から革製品、小物に至るまでお世話になった憧れのショップが「TIMES MARKET」様です。14531806244901

ホームページリニューアルに伴い、お店にご協力いただきまして、店内シチュエーションを撮影に使用させて頂きました。店長にもハンドモデルとしてご出演いただいております。

TIMES MARKET様オリジナルアクセサリー

ご縁とはありがたいもので、いちファンでしかなかった私が、TIMES MARKET様のオリジナルアクセサリーをOEM製作させて頂くようにもなりました。TIMES MARKET様ありがとうございました。1453180831657014531807249792

TIMES MARKET 倉敷店

http://timesmarket.net/html/page5.html

2016-01-19 | Posted in ブログNo Comments » 

 

祖母の命日1月14日 商品が生まれるきっかけ

今日のこの日は、祖母の命日である。1年前のこの夜、病院からの知らせを受け凍てつく高速道路で実家への帰路を急いだ。共働きの両親に代わり、祖父母と過ごす時間が最も多かった。そして最期まで僕の人生を最も案じてくれていた。最期といっても会話が出来たのは2年半前の事だが…

祖母の介護

祖母は脳委縮性の難病により運動機能を失い寝たきりになった。とはいえ、意識はあったと思う。目や耳は聞こえていたはずだ。60年連れ添った祖父が亡くなってからすぐ認知症状態となり、やがて寝たきりへと移行したのだが、なるべく家で暮らさせてあげたかった。

母は『認知症の人と家族の会』へ入会し少しでも祖母の為にと情報交換をし、全てにおいて後悔の無い様に務めたが、日に日に祖母は感情のコントロールを失ってゆき、徘徊、粗相、自殺願望、何より家族の顔がわからなくなっていった。

それでも、内孫で長男である僕の事は不思議と認識してくれる事が多かったと思う。認知症との診断から、指定難病へと診断が移行し臨床調査対象で入院期間も長かったが、祖母ともっと話がしたかった。

祖母のおかげで、今の自分と事業のきっかけがうまれた。少しでも多くの人助けになったと報告できる様に務めたいと思う。

2016-01-14 | Posted in ブログ, 認知症No Comments »